東山館 展示室
私が初めて信州へ旅したのは、今から66年前の大正15年夏のことでした。当時、東京美術学校日本画科の一年生だった私は、友人三人と木曽川沿いに天幕を背負って、10日間の徒歩旅行をし、御嶽へ登りました。横浜で生まれ神戸で少年期を過した私は、初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受けると共に、そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることが出来たのです。
この旅行の二日めの夕方、麻生(あそう)村に着き、山路にキャンプする場所を探しているうちに、大粒の雨が降ってきました。日はすっかり暮れて雨は益々烈しく、雷鳴が物凄くなってきました。路は滝のようになり、杉木立の下で雨宿りをしていると、バリバリと雷が頭上で容赦なく鳴り響きます。私達は仕方なく麻生へ引き返しました。
とある農家の戸を叩いて、わけを話しますと、老婆が気持よく迎え入れてくれました。土間でよいから泊めて下さいと言ったのですが、座敷へ通してお茶など出してくれました。お婆さんは息子と二人暮しで、息子さんのほうは祭りの笛の稽古で近所に出かけているとのことでした。話をしているうちに雷鳴も遠くなって雨も止みました。この辺には名所もないが公園が出来たからと言いながら、老婆は私たちを誘って外へ出ました。すると、思いがけなく美しい月夜になっていました。公園というのは近くの水力発電所のそばに少しばかりの桜の木が植わっているだけの、ごく簡素なものですが、お婆さんはまんざらでも無さそうな様子でした。
私もこの月明の静かな山峡の眺めは、全く都会の公園では味わえない素晴らしいものだと思いました。夜の大気は澄み切っていて、涼風が爽やかに吹き渡っていました。
この旅はその時は気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になりわかったのです。それ以来、山国へよく旅をするようになり、信濃路の自然を描くことが多くなりました。そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました。
いつの間にか私も年を重ね、子供がいませんので今の内に、自家所有の作品などの処置について、真剣に考えねばならない時期になりました。いろいろ考えました末に、私の作品を育ててくれた故郷とも言える長野県にお願いしたいと決心したのです。甚だ唐突なことのようですが、それは私の心の中で長い間に結ばれてきた信州の豊かな自然との強い絆が今日のような結果となったわけです。
長野県では私の身勝手な願いを快くお聞き届けになり、このように立派な館を建てて戴き、誠に御礼の申し上げようも無いことと、心から感謝している次第です。
平成2(1990)年4月
東山魁夷